エクアドルでスペイン語を覚えました。
2014年1月6日 時事ニュース
南米エクアドルのグアヤキルで日本人の新婚夫婦が殺傷されたニュースが毎日流れていますが、私は数十年前に約1ヶ月半滞在したことがあります。
サラリーマン時代にM重工がグアヤキルの発電所建設を受注し、その冷却用の循環水管を納入しました。
ところがドイツのコンサルタントから塗装膜厚が不足とのクレームをつけられ、現地で塗り直しするために技術者と二人で現地に行くことになりました。
空港に到着した途端、全く英語が通じないのが分かりました。
迎えに来ていただいたM商事の方にまず数字から覚えなさいと言われ初めて覚えたスペイン語が「トレインタイセーイス」36というホテルの部屋番号でした。
それからスペイン語会話の本を片手に、毎日悪戦苦闘の連続でした。
おかげで、現地の人を使って塗装の塗り直しを終わった頃には片言のスペイン語が話せるようになっていました。
もちろんタクシーに乗っても行き先を伝えたりタクシー代の交渉もできるようになったし、食事や買い物も困らなくなっていました。
その時覚えたスペイン語は今でも話すことが出来るのは不思議です。
サラリーマン時代にM重工がグアヤキルの発電所建設を受注し、その冷却用の循環水管を納入しました。
ところがドイツのコンサルタントから塗装膜厚が不足とのクレームをつけられ、現地で塗り直しするために技術者と二人で現地に行くことになりました。
空港に到着した途端、全く英語が通じないのが分かりました。
迎えに来ていただいたM商事の方にまず数字から覚えなさいと言われ初めて覚えたスペイン語が「トレインタイセーイス」36というホテルの部屋番号でした。
それからスペイン語会話の本を片手に、毎日悪戦苦闘の連続でした。
おかげで、現地の人を使って塗装の塗り直しを終わった頃には片言のスペイン語が話せるようになっていました。
もちろんタクシーに乗っても行き先を伝えたりタクシー代の交渉もできるようになったし、食事や買い物も困らなくなっていました。
その時覚えたスペイン語は今でも話すことが出来るのは不思議です。
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