法善寺横丁「正弁丹吾亭」
2014年1月22日 グルメ今日は大阪同志社クラブの新年会が「がんこ・なんば本店」で開催されました。
昨年「がんこ」の社長が副会長に専務が社長に昇進されましたが、会長・副会長・社長は共に同志社大学出身です。
今日話の中で2月1日から難波法善寺横丁にある「正弁丹吾亭」という店をがんこフードサービス㈱が店名をそのままで経営を引き継ぐことになったと聞きました。
法善寺横丁は江戸時代、参拝者や芝居小屋に向かう客を目当てに茶店や露天が境内にできたのが始まりでです。
明治16年(1883)には織田作之助の小説で一躍有名になった「夫婦善哉」が、そして明治26年(1893)には同じく同小説で紹介されている「正弁丹吾亭」が創業しています。
また、法善寺横丁は昔、極楽小路と呼ばれていて、法善寺横丁と呼ばれるようになったのは、昭和15年(1940)に長谷川幸延が「オール讀物」で「法善寺横町」という小説を発表したことに始まるとの事です。
100年以上の歴史ある店ですが後継者がいないとのことで「がんこ」が店名を変えずそのまま継承することになったとのことでした。
「正弁丹吾亭」という店名は昔し店の前に肥桶(今の公衆便所)があったことに由来するらしいです。
昨年「がんこ」の社長が副会長に専務が社長に昇進されましたが、会長・副会長・社長は共に同志社大学出身です。
今日話の中で2月1日から難波法善寺横丁にある「正弁丹吾亭」という店をがんこフードサービス㈱が店名をそのままで経営を引き継ぐことになったと聞きました。
法善寺横丁は江戸時代、参拝者や芝居小屋に向かう客を目当てに茶店や露天が境内にできたのが始まりでです。
明治16年(1883)には織田作之助の小説で一躍有名になった「夫婦善哉」が、そして明治26年(1893)には同じく同小説で紹介されている「正弁丹吾亭」が創業しています。
また、法善寺横丁は昔、極楽小路と呼ばれていて、法善寺横丁と呼ばれるようになったのは、昭和15年(1940)に長谷川幸延が「オール讀物」で「法善寺横町」という小説を発表したことに始まるとの事です。
100年以上の歴史ある店ですが後継者がいないとのことで「がんこ」が店名を変えずそのまま継承することになったとのことでした。
「正弁丹吾亭」という店名は昔し店の前に肥桶(今の公衆便所)があったことに由来するらしいです。
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