原田浩行氏のお別れ会
2018年2月18日 友達
いつものように10時にスポーツクラブ「ティップネス」に行きました。
まだ上半身の筋肉が十分鍛えられていないので泳いだのは300メートルだけで後は水中歩行でリハビリに専念
昼前に帰宅したあと服を着替えて出かける用意
今日は13:30分からホテルグランビア大阪20階でシートメタル工業会の役員で我が社の近くにある原田ウェルディングの社長のお別れ会に出席です。
原田浩行氏は昨年12月24日に57歳という若さでご逝去
今日のお別れ会は個人の遺志により「湿っぽくまた暗い雰囲気になることなく生前好きだったお酒を皆さんで飲んでいただきながら思い出話に花を咲かせていただければ幸い」とのことでテーブル席での会食形式でした。
最初に遺影に献花した後黙祷、主催者挨拶、お別れの言葉、ご歓談、お礼の言葉
歓談の途中に個人が好きだった矢沢栄吉の曲のギター演奏もありました。
最後にテーブルに置いてあった色紙で各自「鶴」を折って遺影に供えましたが、個人の遺志通りに湿っぽくないいい感じの「お別れ会」でした。
まだ上半身の筋肉が十分鍛えられていないので泳いだのは300メートルだけで後は水中歩行でリハビリに専念
昼前に帰宅したあと服を着替えて出かける用意
今日は13:30分からホテルグランビア大阪20階でシートメタル工業会の役員で我が社の近くにある原田ウェルディングの社長のお別れ会に出席です。
原田浩行氏は昨年12月24日に57歳という若さでご逝去
今日のお別れ会は個人の遺志により「湿っぽくまた暗い雰囲気になることなく生前好きだったお酒を皆さんで飲んでいただきながら思い出話に花を咲かせていただければ幸い」とのことでテーブル席での会食形式でした。
最初に遺影に献花した後黙祷、主催者挨拶、お別れの言葉、ご歓談、お礼の言葉
歓談の途中に個人が好きだった矢沢栄吉の曲のギター演奏もありました。
最後にテーブルに置いてあった色紙で各自「鶴」を折って遺影に供えましたが、個人の遺志通りに湿っぽくないいい感じの「お別れ会」でした。
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